学ぶのか教わるのか
最近ふと思ったことです。これはどんなことにも共通のことでしょう。 今は軽音楽部なんかも世間的に認知されてきていて中学生、高校生でも軽音楽部でバンドをしていたりしますね。 で、学校という現場は基本的に「教わる」スタンスが強い現場でもあります。そもそも教育という言葉が「教えて育てる」というニュアンスが強く出ています。
ある生徒は「顧問や指導者が100点の解決法をくれない」と愚痴ります。
確かに数学の問題に対しては「フィーリングで」という指導はありえないし、「個人の手の大きさや腕の長さに合わせた感じで」などということもありません。
ここで問題となるのが「教わる」姿勢が染み付きすぎると良くないということです。
学校の勉強も「教えられている」状況ではなかなか伸びにくいものだとおもいます。 あ、これ面白いな、もっとやりたいな、と思ってからが成長の時ですよね。
もちろんこういうことを教育の現場でいうと 「それは指導者の指導の仕方が悪いんだ」
となるわけですが、別に必須でもない音楽やバンドの世界では「学ぶ」姿勢こそが成長のための姿勢だと思います。教わる姿勢が強すぎることは時に学ぶチャンスを逃してしまいます。
色々な音楽を聴くこと、色々な人間に触れること、本を読んだり映画を見たり、様々なところに吸収できる要素は詰まっていますが、教わったことをやるんだというスタンスでいることはそういう面白いものを素通りしてしまいます。たとえ喧嘩の相手からだって学ぶことは多いものです。
仕事の現場でも一緒でしょう。研修中だから教わるんだ、という姿勢の人よりは学んでやろうという意識のある人の方が何倍も早く成長するものですよね。
知りたい欲求がある人が教則本を買ってさらなる知識を必要とするでしょうし、専門学校に行ってより高度な知識を吸収しに行くのだと思います。
大人になれば自然とそういう姿勢が身につくのかもしれませんが、やはり一番大事なことは
「好きこそ物の上手なれ」 (誰でも好きでやっていることは上手になるし、自然と工夫して上を目指すようになるものだ。芸事は、嫌々やっていても決して上手くはなれない、ということ)
というところに落ち着くのでしょう。
好きで居続ける、というところがまた難しくなってくるのでしょうが、この辺は割愛。