MUSIC AS A LANGUAGE

Music as a language.

という Victor Wootenの言葉があります。ヴィクターウッテンという人は人気のベースプレイヤーです。彼のGroove Workshopというビデオはとても面白いので興味のある方は是非。

それなりに弾けるベースプレイヤー数人に実際に講義しているビデオです。目からウロコのお話がいっぱい。

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さて表題のMusic as a language.に戻ります。これを直訳するなら「音楽を言葉のように」といったところでしょうか。

彼の話をかいつまんで紹介します。とってもためになる話です。

そもそも我々日本人はどうやって言葉を覚えましたか、というと特に文法書を読み込んだわけでも単語帳を読んだわけでもありません。リスニングの音源を聴いたりシャドーイングを自主的にやったわけでもありません。何をしたかというと「話したい」という欲求があったから自然とそうなっていった、というところですね。

そして重要なのは周りにとても良い先生がたくさん居たことです。これは両親だったり周りの大人のことですね。毎日極上の音楽を聴いているのと同じ状況です。そして大人たちは我々子供が間違えた日本語をつかった時に「初心者の君は端っこで基礎練習でもしてろよ」と突っぱねたりはしませんでした。

優しく許容して、自発的に言葉を喋り出すのを待ったわけです。決して強要したわけではなく。

これは言葉を楽しむ、ということを先に教えていったのかもしれません。

さらに我々は喋ることで意思を伝えたいという欲求をも持って居ました。つまりモチベーションがあったわけです。

こうやって学んだ言葉は息をするかのごとく自然に言葉として我々の口から出てきます。今、これを書いている自分も主語がこれで述語がこれで目的語を置いて文を完結させよう、などとは考えて居ません。

ここには脳から言葉までの直結したルートが構築されているということでしょう。

別の事例でいうならば我々は息を吸う時に「さあ、今だ!」と意識をしてするわけではありません。 言葉も同じようなものとして我々は使うことができて居ます。

さて、この現象を音楽に持ち込みたいですよね。つまり何も考えずに、こういう音楽が鳴っているから、もしくは鳴らしたいから、という考えがそのまま指先や身体を通って楽器に伝わる。声になる。

今弾いているコードがこれだから今はドリアンスケールで行って、ここはドミナントだから・・・などと考えたくないんだ、と。

そしてそうなるためにはどうするべきなのか、といえばまず素晴らしい音楽を吸収し続けること、そして教える側になるのなら決してそのミュージシャンのスキルを理由に否定をしないことが大事ですね。いい音楽に触れ続けることが大事なのです。

言葉は遅かれ早かれ1年から3年で基本となる部分は覚えてしまいます。そこから少し込み入った文法や熟語などに触れていくことになります。楽器の場合、もちろん生まれてから今まで、やったことのない動きというのが含まれますから、単純に3年で基礎のレベルが習熟できる、というものではありませんが、この考え方で自分の練習を見直すことは一つの指針になりそうですね。

そういえば李小龍(ブルース リー)も同じように言うてましたね。

Don't think , feel.(考えるな、感じろ)

プロフェッショナルは皆同じようなことに行き着くのかもしれませんね。